M67seijinの鬱々な日々

67年生まれのオヤジです。鬱々な日々の中で、その都度興味を惹かれたこと、心に浮かんだことなどを綴っていく予定です。

家庭崩壊へのカウントダウン

今日は、頭痛がすると偽って会社を早退した。

 

真昼間から僕が家に帰ったものだから、女房は唖然とした表情である。

明らかな不快感を示しながら、突然脳外科に行こうと言い出した。

 

今日は仮病だったのだが、時折強烈な頭痛がするのは事実なので、この際だと思って女房と一緒に脳外科へいき、CTを撮ってもらった。だが幸いなことに脳腫瘍などはなく、機能的には何も問題はない、ということだった。

 

ひとまず安心して家に帰ったら、今度は女房がいきなり僕に突っかかってきた。

まず、今日の診療で7千円もの予想外の出費が嵩んだこと。それに加え、普段だらだらとして寝てばかりいる僕に対する罵詈雑言をこれでもかと言うほどぶちかました。

 

今年に入ってから僕はうつ気味で、もう8ヶ月ほど前から心療内科に通い、ちゃんと薬も飲んでいるのだが、今のところ改善した気配はない。

 

全てのことに後ろ向きでもはや生きるエネルギーさえ枯渇しかかっている僕としては、彼女の怒りに反論する気力もなく、ただ言われるまま屈辱に耐えるしかなかった。

 

言われている時はさすがに神経が参ってしまったが、後でよく考えてみると、何もあそこまで罵倒することはなかったのではないか、という思いがひしひしとこみ上げてきた。

 

確かに僕は仕事が嫌いだ。だから、時々は今日のように仮病を使って休んだり早退したりすることもある。だが、嫌々ながらも与えられた仕事は真面目にやっている。

 

しかし、仕事から解放されたあとの憩いの場であるはずの家庭でこんな仕打ちを受けるのなら、本当に僕は救われない。

結果ますます気分は落ち込み、自分の部屋に篭ってふて寝することになる。

毎日毎日がこの調子だ。いくら薬を飲んだところで、こんな環境にいては治るものも治らない。

 

一般に、うつの治療には家族の協力が不可欠ということになっている。一番身近にいる家族が苦しんでいるうつ病者を労り、優しく接してこそ回復も早くなるのだが、僕の家庭では逆に精神的に追い詰められるばかりだ。こんな状態がいつまでも続くようなら、僕はもちろん、家庭自体がそのうち破滅してしまうだろう。

 

どこかでこの悪循環を断ち切らねばならない。

それには僕が何らかの生きがいを見出し、もっとポジティブな生き方をする必要があるのだが、現在うつの真っ只中でもがき苦しんでいる僕には、まだとてもそんなことはできない。

 

それまで順調に回っていたはずの人生の歯車が、今ギシギシと音を立て軋み出している。このままでは、近いうちに歯車が弾け飛び、僕も僕の家庭も崩壊してしまうに違いない。

 

この現状を打破するため、具体的に何をすればいいのか、はっきり言って今の僕には分からない。何せ、心の底からこみ上げてくるものが何もないのだ。こんな状態で、意欲など湧いてくるはずがない。

結局は何もせず寝逃げして、朝になればまた獄に惹かれる囚人のように仕事に行くしかないのだ。

楽しみも希望もなく、未来永劫意味もなく岩を転がし続けるシジフォスのように、ただひたすらこの過酷な毎日に耐えていくしかないのだ。

 

それを思うと、もう本当にやりきれない。

 

時刻はもう9時を回った。寝る前の安定剤も飲んだし、今夜もまた泥のように眠ることにしよう。

せめていい夢が見れるといいなあ。

 

 

 

 

 

 

一筋の光明を見出した夜

今日、女房と久しぶりに長話をした。

 

我々夫婦は結婚してもう22年ほどになるのだが、実は結婚当初から性格の不一致やその他諸々のことで諍いが絶えず、どちらかといえば不幸な結婚生活であった。

 

僕が今日うつ病を得るに至った根本原因は、実はこの結婚にあったのではないか、と思うこともしばしばで、ひと頃は顔を見るのさえ嫌と思ったこともあった。

 

それでも何とか仮面夫婦を演じてきて、気がつけば息子はもう大学を卒業して独り立ちしようとしている。そこで、ここらが潮時ということで、思い切って熟年離婚を切り出してみたのだった。

 

しかし、ここで、我々自体の年齢で引っかかってしまった。

僕は今53歳、女房は57歳。当たり前の話だが、もう2人とも若くはない。

こんな中年の男女が、今更別れたとして一体どうなるというのだろう?

 

最初は離婚前提で話していたつもりが、途中から徐々に考えが変わっていった。

 

振り返って見ると、この女房は、これまで僕が何度もうつでダウンしていた時、僕には何かと冷たかったが、それでも家庭のことはちゃんとやってくれていた。そのおかげで息子も特にぐれるわけでもなくこれまで素直に育ってくれた。

 

それを考えると、僕は彼女に感謝こそすれ、恨むなどということは全く筋違いなことだということが徐々にわかってきた。

 

話の勢いで今後の生活のことやお金のことや親兄弟のことについても色々話し合ってみたが、その点については彼女も同じような考えを抱いており、おかげで今まで水と油のようだと思っていたお互いの気持ちが意外にも近いところにあったのだということもわかってきた。

 

それに何より、共に過ごしてきた22年という長さの重みをあたらめて感じた。

この間何度も鬱病で苦しんできた僕をまじかで見てきたのは、この世の中で唯一彼女だけである。そのようなかけがえのない女をこんなところで手放すのは惜しい、という気持ちが素直に押し寄せてきて、僕はいつの間にか離婚話を忘れて、最後には「こんな僕にこれからもついてきてくれるかい?」と問いかけていた。

 

「当たり前でしょ。だって私もう行くとこないもの」

 

・・・この言葉を聞いた時、何か心が洗われたような気持ちがした。

 

今までそれは色々不愉快な目にも合わされてきたが、やはり自分にはこの女が必要なのだ、と心の底からそう思えた。

 

息子も間も無く独立し、我々は再び2人だけの生活に戻ることになる。

うつ病などという厄介なものを抱えている僕に今後も寄り添ってくれるのは、やはりこの女房しかいない。今日という今日は、本当にそう思えた。

 

我々夫婦の今後には、僕のうつ病をはじめとして、まだまだ様々な問題が横たわっている。

だけど、今日こうして腹を割って話し合ったことで、一筋の光明が差してきたような気がした。

 

やり方の選択肢は、その気になればまだたくさん見つかるはずだ。

この古女房と一緒に、僕はもう一度新たな気持ちで今後の人生に向かって行こうと思う。

 

 

 

 

「思考停止」の効用

日曜日が暮れようとしている。

 

昨日から二日間休みだったわけだが、今週末も特に何もせずただ無為に過ごしてしまった。

 

基本的にはほとんど寝たきりで過ごしているのだが、そうそう横になりっぱなしというのもかなりきつい。

そこで、たまに起き上がってはYouTubeの動画やテレビなどを観て過ごすのだが、どれも入り込めず、虚しさは募る一方である。

映画を観る気にもなれないし、本を読む気にもなれない。散歩に出るのも億劫だ。

 

個人的な事情だけでなく、社会を見ても、今はコロナウィルスの影響で右を向いても左を向いても八方ふさがりの状態が続いている。

 

こんな絶望的な状況の中で、明日からはまた普通通り仕事に出なければならない。

 

本当に悪夢のようだ。

 

 

今の僕は、とにかく何事にも興味が持てない。

 

何に対しても、深入りすることなくスルーしてしまう癖がすっかり定着してしまった感がある。だから、情熱も持てないし、モチベーションも湧かない。

 

こうなると、もう本当に何のために生きているのかわからなくなってくる。

 

せめてたったひとつでいい。

興味や情熱を注ぎ込める対象がひとつでもあれば、この虚無感もずいぶん緩和されると思うのだが、残念ながら、今の僕にはそれを見つけることさえできない。

 

情熱を燃やせるものもなく、興味を持てるものもなく、この先何十年も生きていかなければならないのかと思うと、もう本当にやりきれない。

 

 

現在50の坂を越えた僕には、もはや昔のような体力はない。

それどころか、この先はかろうじて残っているその体力さえ目に見えて衰えてくるだろう。

病気になるリスクも年々高くなるし、いつまで元気に働けるかも分からない。

今は何とか人並みの生活レベルを保ってはいるが、それもままならなくなる日がきっと来るに違いない。

コロナウィルスの影響だって、いつ収束するか分からない。このままでは、社会のインフラは一体どうなってしまうのか?

 

・・・色々考えていると、絶望感で本当に気が狂いそうになる。

 

こんな時に唯一有効なのは、「思考停止」だ。

とにかく余計なことを考えないこと。不安や絶望を意識から遠ざけること。

 

気を紛らわすものを持てない今の僕が今後もかろうじて生きていくためには、不本意でもこの方法にすがるしかない。

 

これは一種の逃避であるが、リアルに押しつぶされ気が狂うよりは遥かにマシというものだ。

 

 

もしかしたら、僕がうつ病になり思考力が散漫になってきたのは、このあまりに辛い現実から自分を守るための必然だったのかもしれない。

 

そうなると、現在うつを治療すべく薬を飲んだりしている自分は一体何なのだろう・・・

 

ああ、考えるとまた虚無感に飲み込まれそうだ!

 

今日のところはこれで「思考停止」することにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うつ。家族との断絶。でも本当は・・・

近頃、大学生の息子とうまく距離が取れなくなってきた。

 

それまでは度々僕のところへやってきてはいろいろな話をしてくれたものなのだが、近頃ではそんなこともさっぱりなくなってきた。

 

たまにやってきたと思っても、それは大抵何か頼みごとをしたりする時のみで、非常にあっさりしたものである。

 

寂しいことだが、父親と息子らしい温かい心の交流などというものは、少なくとも今現在の我々親子には全くないと言ってよい。

 

 

こうなった原因は、やはり僕がうつになったことであろう。

 

この病気になってからというもの、とにかくありとあらゆる人間関係が疎ましくなり、僕はますます自分の殻に閉じこもるようになってきた。

 

そしていつしか家族に対する関心も薄れてきて、それを察知した息子は、当然のことながら僕を避けるようになってきた、というわけなのだ。

 

もう成人したとはいえ、まだまだ人生経験も未熟な息子のことである。本当は父親に相談したいことも色々あるだろうに、肝心の父親がこのざまではそれもままならない。

 

今息子は、どんなにか情けなく、辛い思いをしているのであろうか。

 

それを思うと、内心忸怩たる思いにとらわれるのであるが、さりとて自分でもどうしてよいのかが分からず、僕は今も部屋の中に閉じこもっている。

 

ダメおやじ、ここに極まれり。

 

しかし僕だって、いつまでもこんな状態に甘んじているつもりはない。

なんとかこのうつから脱却して、父親として堂々と胸を張って生きてみたい。

 

だが、今はまだどうにもできないのだ。それがすごく悔しい。

 

 

ああ早く!一日も早く、このうつから脱却したい。

 

家族への愛を自分の中に取り戻し、もう一度妻や息子と普通の幸せな生活を送りたい。

 

人並み以上など望まないから、せめて、人並みの穏やかな生活がしたい!

 

 

・・・こうして今日も、自ら家族と断絶した僕は、またしても矛盾した感情に捉えられ、ひとりもがき苦しむのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

STAY HOME ! とは言うけれど

楽しみだった土日の休日も、そろそろ終わろうとしている。

 

この二日間、タバコを買いに行く以外全く外に出なかった。

 

ただひたすら自宅にこもり、何をするでもなくただ淡々と過ごす。

 

うつ病者である僕には当たり前のこんな行為も、健常者の人たちには大変なストレスになるのか、緊急事態宣言が出されているにも関わらず、世間では相変わらずジョギングや散歩、遊楽などで外出する人が後を絶たないようである。

 

STAY HOME !          

 

現在政府や自治体は皆こぞってこのスローガンを唱えているのだが、「自粛」という、各人の主体性に任せる形にはやはりどうしても甘さが出てくる。

 

この甘さがどこから出て来るのかを考えてみると、それはやはり、自分一人が外出したところで多勢に影響はないだろう、という驕りの意識があるからであろう。

 

しかし、感染というものはネズミ講式に拡散してゆくものである。

 

このような意識を持った人が仮に1人から2人に増えると、感染リスクは単なる倍数ではなく、その何十倍にも跳ね上がってしまう、ということなのだ。

 

それは逆に言えば、今この瞬間誰かが外出を断念すれば、他でもないその決断が何十倍にも膨れ上がる可能性のある感染リスクを根絶できる、ということでもある。

 

だから、自分の行動は、よくよく注意して決断しなければいけない。

 

現在このような状況下において、個人が社会に与える影響は、実は思っている以上に大きいのである。

 

ストレスを抱えるのはやまやまだが、ここはやはり、ぐっとこらえて「自粛」せねばならないだろう。

 

人類の歴史における、この未曾有の危機を乗り越えるには、やはり国民一人一人の高い危機意識が欠かせない。

 

政府や自治体がいくら頑張ったところで、人々の意識が根本から変わらなければ、この戦いに勝利することはできないのだ。

 

STAY HOME !

 

このスローガンの持つ重みを、今一度改めて考えてみよう。

 

社会のため、人類のため、今この瞬間自分ができることは何かを真剣に考えてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナ騒動の後に来る本当の恐怖

昨夜安倍首相による緊急会見があり、首相はその中で全国民に対する外出自粛をあたらめて呼びかけていた。

 

折しも今は、五月の大型連休を間近に控えた時期でもあり、ここで普段の警戒心が緩めばもう取り返しのつかないことになる、という危惧があったのだろう。

 

例年大型連休は国内外への旅行や帰省、行楽地への遊行などで人の動きが最も活発になる時期なのだが、今年はその動きを最小限に抑えてくれ、というわけである。

 

政府がこうした呼びかけを行う裏で、旅行代理店やホテル業界、航空業界など、数え切れないほどの人々が大きな経済的損失を被っている。

そしてそれは、もはや個人的損失にとどまらず日本経済の基盤を揺るがすほどの規模にまで膨れ上がっている。

 

政府はもちろんこうした事態にただ手を拱いているわけではなく、一時給付金や無利子無担保融資などありとあらゆる策を打ち出して入るのだが、正直言って焼け石に水、という気がしないでもない。

 

こうした状況の中、事業者の方々は皆精一杯頑張ってはいるのだが、今その人たちの胸中では、この見えない敵(新型コロナウィルス)に対する怒りが煮えたぎっているのだろう。

 

この敵がもし特定の国や団体であったなら、軍事力を動員してそれを殲滅しよう、という動きになるはずであるが、何しろ相手はウィルスであるから、そういうわけにもいかない。

 

国、人種に関係なく、今全世界の人々は、怒りの対象をどこにもぶつけられない、究極のジレンマに陥っているのだ。

 

いったい、このジレンマはいつまで続くのだろう?

 

今はウィルスに対する警戒や医療問題などで手一杯な状況であるが、人々の怒りの矛先が、ウィルスに向けられている間はまだいい。

 

しかし、もし近い将来ウィルスが死滅し生活を本格的に再建しようという段階になった時、その矛先は、どこへ向かうのだろう?

 

それを考えると、本当に恐ろしい気がする。

 

その時になってパニックに陥らないよう、ウィルスによるストレスをどう発散するかという問題を、個人的、国家的なレベルで早い段階から考えておくことが必要だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリニック院長との一問一答・その2

今日は、週一で通っているクリニックの受診日であった。

 

「その後調子はいかがでしょう?」

「そうですね。薬はずっと飲み続けてはいるのですが、まだこれといった変化はないですね」

 

「職場の方ではどうですか?」

「そちらも相変わらずですね。どうしても周りの空気に溶け込めず、黙々と仕事だけこなしている状況です。やり甲斐も、変化も、楽しみもなく、ただ馬鹿正直に働くだけの毎日にはほとほと疲れ果てましたね」

 

「何か気晴らしになるようなことをされてみては?」

「あまり大したことはできないのですが、実は最近ブログを始めまして、夕方一定の時間を使って文章を書くことがささやかな気晴らしになっています」

 

「ほお、それはいいですね」

「ええ。それに、こうして自分で記事を書いていると、他のうつ病者の方々のブログを読む機会も増えてきます。それを読むと、皆さん辛い思いをしながらもいろいろな工夫をしていることが分かるし、何より苦しんでいるのは自分だけじゃない、という気持ちになれるのがありがたいですね。

それにこうして情報発信をしていると、時には全然見ず知らずの方から反応があったりして、すごく励みになっています。ネット上のことではありますが、実生活で友人がほとんどいない僕にとってはそれが社会と繋がる唯一の接点なのかもしれません・・・」

 

 

実は僕は、このブログのことを友人知人にはもちろん、家族にさえ言っていない。

このことを他人に打ち明けたのは、これが初めてである。

 

昔話の「王様の耳はロバの耳」ではないが、心のうちに秘めた思いをこうして吐き出してみると、わずかながらも心が軽くなったような気がする。

 

 

来週もまた良い報告ができるよう、これから一週間またこの「気晴らし」に興じようと思う。