M67seijinの鬱々な日々

67年生まれのオヤジです。鬱々な日々の中で、その都度興味を惹かれたこと、心に浮かんだことなどを綴っていく予定です。

「思考停止」の効用

日曜日が暮れようとしている。

 

昨日から二日間休みだったわけだが、今週末も特に何もせずただ無為に過ごしてしまった。

 

基本的にはほとんど寝たきりで過ごしているのだが、そうそう横になりっぱなしというのもかなりきつい。

そこで、たまに起き上がってはYouTubeの動画やテレビなどを観て過ごすのだが、どれも入り込めず、虚しさは募る一方である。

映画を観る気にもなれないし、本を読む気にもなれない。散歩に出るのも億劫だ。

 

個人的な事情だけでなく、社会を見ても、今はコロナウィルスの影響で右を向いても左を向いても八方ふさがりの状態が続いている。

 

こんな絶望的な状況の中で、明日からはまた普通通り仕事に出なければならない。

 

本当に悪夢のようだ。

 

 

今の僕は、とにかく何事にも興味が持てない。

 

何に対しても、深入りすることなくスルーしてしまう癖がすっかり定着してしまった感がある。だから、情熱も持てないし、モチベーションも湧かない。

 

こうなると、もう本当に何のために生きているのかわからなくなってくる。

 

せめてたったひとつでいい。

興味や情熱を注ぎ込める対象がひとつでもあれば、この虚無感もずいぶん緩和されると思うのだが、残念ながら、今の僕にはそれを見つけることさえできない。

 

情熱を燃やせるものもなく、興味を持てるものもなく、この先何十年も生きていかなければならないのかと思うと、もう本当にやりきれない。

 

 

現在50の坂を越えた僕には、もはや昔のような体力はない。

それどころか、この先はかろうじて残っているその体力さえ目に見えて衰えてくるだろう。

病気になるリスクも年々高くなるし、いつまで元気に働けるかも分からない。

今は何とか人並みの生活レベルを保ってはいるが、それもままならなくなる日がきっと来るに違いない。

コロナウィルスの影響だって、いつ収束するか分からない。このままでは、社会のインフラは一体どうなってしまうのか?

 

・・・色々考えていると、絶望感で本当に気が狂いそうになる。

 

こんな時に唯一有効なのは、「思考停止」だ。

とにかく余計なことを考えないこと。不安や絶望を意識から遠ざけること。

 

気を紛らわすものを持てない今の僕が今後もかろうじて生きていくためには、不本意でもこの方法にすがるしかない。

 

これは一種の逃避であるが、リアルに押しつぶされ気が狂うよりは遥かにマシというものだ。

 

 

もしかしたら、僕がうつ病になり思考力が散漫になってきたのは、このあまりに辛い現実から自分を守るための必然だったのかもしれない。

 

そうなると、現在うつを治療すべく薬を飲んだりしている自分は一体何なのだろう・・・

 

ああ、考えるとまた虚無感に飲み込まれそうだ!

 

今日のところはこれで「思考停止」することにしよう。