一筋の光明を見出した夜
今日、女房と久しぶりに長話をした。
我々夫婦は結婚してもう22年ほどになるのだが、実は結婚当初から性格の不一致やその他諸々のことで諍いが絶えず、どちらかといえば不幸な結婚生活であった。
僕が今日うつ病を得るに至った根本原因は、実はこの結婚にあったのではないか、と思うこともしばしばで、ひと頃は顔を見るのさえ嫌と思ったこともあった。
それでも何とか仮面夫婦を演じてきて、気がつけば息子はもう大学を卒業して独り立ちしようとしている。そこで、ここらが潮時ということで、思い切って熟年離婚を切り出してみたのだった。
しかし、ここで、我々自体の年齢で引っかかってしまった。
僕は今53歳、女房は57歳。当たり前の話だが、もう2人とも若くはない。
こんな中年の男女が、今更別れたとして一体どうなるというのだろう?
最初は離婚前提で話していたつもりが、途中から徐々に考えが変わっていった。
振り返って見ると、この女房は、これまで僕が何度もうつでダウンしていた時、僕には何かと冷たかったが、それでも家庭のことはちゃんとやってくれていた。そのおかげで息子も特にぐれるわけでもなくこれまで素直に育ってくれた。
それを考えると、僕は彼女に感謝こそすれ、恨むなどということは全く筋違いなことだということが徐々にわかってきた。
話の勢いで今後の生活のことやお金のことや親兄弟のことについても色々話し合ってみたが、その点については彼女も同じような考えを抱いており、おかげで今まで水と油のようだと思っていたお互いの気持ちが意外にも近いところにあったのだということもわかってきた。
それに何より、共に過ごしてきた22年という長さの重みをあたらめて感じた。
この間何度も鬱病で苦しんできた僕をまじかで見てきたのは、この世の中で唯一彼女だけである。そのようなかけがえのない女をこんなところで手放すのは惜しい、という気持ちが素直に押し寄せてきて、僕はいつの間にか離婚話を忘れて、最後には「こんな僕にこれからもついてきてくれるかい?」と問いかけていた。
「当たり前でしょ。だって私もう行くとこないもの」
・・・この言葉を聞いた時、何か心が洗われたような気持ちがした。
今までそれは色々不愉快な目にも合わされてきたが、やはり自分にはこの女が必要なのだ、と心の底からそう思えた。
息子も間も無く独立し、我々は再び2人だけの生活に戻ることになる。
うつ病などという厄介なものを抱えている僕に今後も寄り添ってくれるのは、やはりこの女房しかいない。今日という今日は、本当にそう思えた。
我々夫婦の今後には、僕のうつ病をはじめとして、まだまだ様々な問題が横たわっている。
だけど、今日こうして腹を割って話し合ったことで、一筋の光明が差してきたような気がした。
やり方の選択肢は、その気になればまだたくさん見つかるはずだ。
この古女房と一緒に、僕はもう一度新たな気持ちで今後の人生に向かって行こうと思う。